2024/05/10
今日は「男の料理教室」の日。天気が良いのでトレーニングがてらロードバイクで出かけた。
習った料理は①桜えびの混ぜご飯、②豚肉のミルフィーユカツ、③アボカドのわさび和え、④新じゃがと新玉ねぎの味噌汁、⑤いちごプリン。
帰り路、ヤマサ蒲鉾の北側にある水田の睡蓮が咲いていた。もう午後の1時を過ぎていたので花も閉じかけていたがなんとか間に合った様子。
2024/04/15
二日前にロードレーサーの新車が家に届いた。2月の16日に注文して約二ヶ月。今か今かと首を長くして待っていたものがやっと仕上がった。京都の老舗メーカーVIGOREに作ってもらった「KYOTO Collection しるし」である。
2022年11月に永年の愛車「Bianchi」のロードレーサーからグラベルロード 「BASSO TERRA GRX600」に乗り換えた。Bianchiにはかれこれ20年ほど乗っており、最愛の自転車となっていた。乗り続けたいのはやまやまなれど、かなり前につけてしまったフレームのへこみと傷が時間の経過とともにすこし錆びてきてしまい、安全を考えて念のため乗り換えることにしたのだ。80歳頃まで乗り続けるとして残り15年強、乗り潰すつもりでの乗り換えであった。現に3月下旬から出かけた東北へのツーリングにはTERRAを使った。幹線道路を外れ、海岸線の砂地の道路や田園地帯の砂利道を走るのに満足な性能を発揮してくれた。そう、充分満足しているし、いまや愛着のあるバイクとなっている。しかしTERRAに乗り換えて改めて分かったことなのだが、私にはクロモリのロードレーサーの細くシンプルな三角形フォルムへの偏愛がある。”美しい”と思うのだ。20年前に自転車を始めたころ、既に人気はカーボンフレームに移っていた。しかし私はクロモリの細い三角形フレームにこだわり、Bianchiのブランドカラー「チェレステ」の美しさにも惚れ込んでそれに決めたのだった。乗り換えたグラベルロードもクロモリでシンプルな三角形のフレームだ。しかしグラベルロードのそれはロードレーサーのものよりほんの少し太い。重量もそれなりにある。砂利道をも走る用途ゆえ当然のことだし、それはそれで実用にかなう美しさを持っているのだが、どうしても細いフレームへの偏愛が頭をもたげる。たまたま確定申告で50万円ほど還付されることが決まった時期でもあったので、「ええい、買ってしまえ!」とばかりに発作的に注文してしまった。私は贅沢を好まないが、使えるお金が手元にあれば使ってしまうたちでもある。以前からVIGOREのホームページを見ており「いいなぁ、美しいなぁ」とそのクラシカルな佇まいにあこがれてもいた。今にして思えば、思いは募っていたのだ。と、まあ、以上が「KYOTO Collection しるし」を買いもとめることにした経緯でもある。かくなる上は「TERRA」と「しるし」を用途と情況に応じ、偏ることなく、双方に愛を持って真摯に接していく覚悟である。
そんなこんなで今日は新車をおろし、試乗した。今日は週一回のストレッチ体操教室の日である。広畑までの片道22kmの往復にトレーニングを兼ねて「しるし」を使ってみた。軽いフレーム、細いタイヤ、春風のような軽快な走りが心地よかった。
ソメイヨシノは散ってしまったが、八重桜が見頃となっている。
ヤマサ蒲鉾のシバザクラがそろそろ見頃を迎えつつある。
田んぼの蓮華も盛りを迎えた。
夢前川のソメイヨシノは花がほぼ散って葉が伸びてきた。
2024/04/07
チャリンコで東北へ行く旅、12日目は輪行で帰る。秋田から東京へは秋田新幹線・こまち18号(秋田10時07分→東京14時08分)、東京から姫路へは東海道・山陽新幹線・のぞみ75号(東京14時48分→姫路17時45分)に乗車。秋田新幹線は初めて乗った。秋田から姫路まで乗り換え1回7時間強で帰ることができるとは、便利になったものだ。
まずは腹ごしらえ。朝7時から開いている駅そば『しらかみ庵』に入った。旅をしていると朝食に困ることがたびたびある。ビジネスホテルの朝食はおいしくない。かといって早朝から開いている店を探すのは大変だ。その点、駅そばは早朝から開いていることが多いし、ダシのきいた汁でたぐるそばはなかなかうまい。コスパも良い。私のような者にはまことにありがたい店が駅そばだ。メニューを見て評判が高く売り切れてしまうらしい「しらかみネギそば」あるいは秋田の郷土食であるぎばさを使った「ぎばさ蕎麦」にしようかと思ったが、季節限定メニュー「あさりかき揚げそば」に心惹かれそれにした。かき揚げもあさりも大好物なのだ。
お腹が満たされたあとは帰り支度。2度目の袋詰めなので不安もなく完璧な仕事。
10:06 ホームに到着した秋田新幹線は赤だった。東海道・山陽新幹線にしか乗ったことのない私には斬新に映った。カッコイイ。
新幹線に乗車後はリラックス。携えてきた本を読みながら酒を飲む。酒は『阿櫻』。肴は「燻りがっこ」。酒の後は「いなり寿司」。本と酒とうまいもんがあれば何時間でも幸せに過ごせる。自動車は嫌いだが、鉄道、バスの旅はいいもんだ。
姫路駅ではつれ合いが迎えに来てくれていた。ありがたい。
2024/04/06
チャリンコで東北へ行く旅、11日目はいよいよ秋田県に入った。自宅に帰らねばならない期日までもう一日残ってはいるが、姫路まで帰ることを考えると秋田駅から新幹線を使うと超便利、東京駅での乗り換え1回8時間ほどで姫路駅に到着する。訪れたいと思っていた八郎潟、男鹿半島を目前に旅を終えるのは些か残念ではあるが、その先の青森県も含め次の機会の楽しみにとっておくことにした。
今日走ったルートは下の地図のとおり。県境の遊佐町を越え秋田県に入り、由利本荘から秋田へと海岸線を走るルート。若干のアップダウンはあるもののほぼ平坦な道程。走行距離は約90km、総上昇量538mであった。
7:00 朝食。今日も快晴。昨夜、ご飯を茶碗に山盛り4杯食べおひつを空っぽにしたので、今朝はその5割増しぐらいのご飯がおひつに入っていた。申し訳ありません。2杯しか食べられませんでした。ただそうしたお心遣いをいただいたこと、ありがたく感謝しております。
7:40 湯の田温泉を出発。国道7号線を秋田に向け北上。海岸線を走っていて感じたのは風力発電機が多く設置されていること。穏やかな天気だったからだろう、半数ほどしか羽根が回転していない。こんな稼働率で大丈夫なのだろうか。確か昨年、海上風力発電設備を建設するという話もあったと記憶している。安直に再生可能エネルギーを賞賛し、巨額の予算を投じ続ける価値があるのだろうか。この春から再エネ賦課金が増額され、一般家庭でも月額1,000円程度電気代が増えるとニュースで聞いた気もする。脱原発自然エネルギー礼讃イデオロギーの行き着く先は、電気代高騰による産業空洞化だろう。ドイツの例を見れば明白。なのに日本は今ごろになって周回遅れでヨーロッパの失敗の二の舞を演じようとしているように見える。すでに再生可能エネルギーは巨大な利権になっていて、走り始めたら止まらないのだろう。きれい事の裏は金、金、金だな。といったことを美しい海岸線の景色を眺めながら考えてしまった。
国道7号線象潟町小砂川あたりを走りながら眺める鳥海山は美しい。今日は天気が良いので雪が眩い。
10:10 「ローソン にかほ平森店」でエネルギー補給。お茶は伊藤園の「おーいお茶 濃い茶」。カテキンの効果で体脂肪を減らすのだとか。カロリーをとりながら体脂肪を減らしたいなどと、まるでアクセルをふかしながらブレーキを踏むような行為ではないか。私はなんと矛盾した存在なのかと自嘲する。
10:20 「飛良泉」の蔵元の前を通る。
11:30 三川道路公園からの景色。遠くに島のようなものが見える。おかしいな、こんな所に島があっただろうかと不思議に思って、近くにいた地元の人に訊くと男鹿半島なのだとか。なるほど。肉眼では見えていても写真ではほとんど写らないのが残念。
13:00 「道の駅 岩城 アキタウミヨコ」で昼食。
15:00 秋田駅前に到着。この旅の終着点をここにした。今夜は名居酒屋と名高い『酒盃』で酒を飲み、明日の新幹線で姫路に帰ることにして、新幹線の指定席を購入。
18:00 居酒屋『酒盃』で酒を飲む。噂に違わず肴がうまい。酒もご当地のものを取りそろえている。文句なし。旅の締めくくりにふさわしい夜となった。
2024/04/05
チャリンコで東北へ行く旅、10日目は鶴岡を離れ赤川沿いに下って酒田、そしてさらにその先秋田県との県境の町である遊佐町まで走った。早朝は霞がかかってうっすらとしか見えなかった鳥海山も徐々にその輪郭をハッキリと見せ始め、昼頃からはこれ以上ないほどの晴天の下、真っ白な雪をいただく姿を惜しみなく見せてくれた。
酒田市では市内をポタリングして「最上川」「山居倉庫」「山王クラブ」「土門拳記念館」と観てまわった。そして酒田市から遊佐町へは鳥海山を眺めながらのサイクリング。遊佐町に入ってからは「丸池様・牛渡川」「十六羅漢岩」と観光名所を二カ所観てまわった。
赤川を下って酒田へ、そして遊佐町へ至る鳥海山を眺めながらのコースは一昨日訪れた居酒屋『すたんど割烹みなぐち』のご主人から教えていただいたもの。ご主人もロードバイクで走られるとのことで、鶴岡から秋田方面に向かうならこのルートが良いと推奨いただいたのである。
一日の走行距離は約69km。ほぼほぼ平坦な道程であった。
5:50 赤川にさしかかる。三川橋を渡って赤川の土手沿いを酒田方面に走る。早朝ならば月山の姿を見ることができるかと期待したのだが、朝靄のベールにつつまれ見えなかった。残念。
赤川の土手沿いを鳥海山に向かって下る。肉眼では向かう先に鳥海山が聳えているのが見えるのだが、写真ではほどんど判然としない。残念。しかし、気高く聳える鳥海山に向かって走るのは気持ちが高揚する。
赤川の土手にはフキノトウや土筆が群生している。春の野草を食べたければ取り放題。このあたりではめずらしくもなく誰も見向きもしないのだろう。
6:45 ファミリーマート庄内三川店でサンドイッチとコーヒーの朝食。
8:00 最上川にさしかかる。川向こうはるか先に鳥海山の姿が美しい。ただ、写真ではハッキリしないのが残念。それにしても最上川ってこんなに小さいのかと疑問に思う。実はこの後もう少し走って分かったのだが、これは支流(京田川)であった。
8:10 これこそが最上川。出羽大橋を渡る。
8:20 山居倉庫。今も現役の農業倉庫とその建物を使った土産物売り場や食事処がある。欅並木が見事。
8:40 酒田港「みなと市場」。開店時間9:00を待って二回目の朝食「赤身中トロ丼」を食べる。
「山王クラブ」に向かう途中「上喜元」の蔵元である「酒田酒造」の前を通りがかった。
9:40 「山王クラブ」。「山王くらぶ」は港都酒田を代表する料亭で明治28年に建てられた。国の登録有形文化財となってる。「酒田傘福」と辻村寿三郎氏の人形が常設展示されていた。
「山王クラブ」に「土門拳記念館」の展示会ポスターが貼ってあり、植田正治氏の写真との企画展があることを知った。植田正治氏のファンで鳥取の大山の麓にある「植田正治写真美術館」に何度も行った私としてはこの機会を逃す手はない。もと来た道を少し戻ることになるが「土門拳記念館」に向かった。「土門拳記念館」は最上川にほど近い飯盛山公園の中にある。公園の中にはスポーツ施設や美術館もあり酒田市民の憩いの場であるようだ。美術館の前の広場から池越しに鳥海山の雄姿を観ることができる。
「土門拳記念館」では「植田正治と土門拳 巡り会う砂丘」という企画展が展示されていた。効果を計算して演出する植田正治の手法と非演出のリアリズムにこだわった土門拳は対照的な写真家。方向性はほぼ正反対でも、植田と土門は互いに交流があり、お互いを認め合っていたようだ。展示されていた写真には「植田正治写真美術館」で観たものも多かったが、改めて対比してみるとワクワクするほどの面白さがあった。お互いが相手をリスペクトしつつ負けまいと気を張っているのが感じられた。
最上川をもう一度北へと渡り直す。遠くにうっすら見える山の姿は方角からしておそらく月山であろう。知らんけど。
国道7号線を遊佐町方面へ走っていると「本間ゴルフ 酒田工場」があった。町を巡って気づいたことだが、酒田市では本間氏の勢力が絶大であるようだ。昨夜訪れた鶴岡の居酒屋「いな舟」の女将も本間ゴルフの創業者が酒田本間氏の末裔であるようなことを言っていた気がする。酔っていてよくは覚えていないけれど。
12:50 遊佐町に入る。いよいよ鳥海山が近くはっきりと見えてきた。
14:10 「丸池様」。さすがは鳥海山の麓。湧き水の透明度がすごい。
海岸線を北上。
14:45 「十六羅漢岩」。
15:00 予定より早く旅館に到着。第一印象は古く寂れた温泉旅館という印象で、その印象ははずれてはいなかったが、素朴で温かい気遣いがありゆっくりくつろげる旅館であった。二食付きで素泊まりのビジネスホテルとさほど変わらない料金なのだから、施設設備が古いのはまったく問題ない。いや却ってそれが風情といってよく、潮騒を聴きながら過ごした一夜はすばらしいものであった。
純和風の部屋。すぐ外は海。イソヒヨドリだろうか、良い声で鳴いている。
15時でも、既に風呂は入れる状態であった。一番風呂で貸切状態。海を観ながら湯船につかり、疲れた体をほぐす。最高の贅沢だ。
風呂上がりのビール。自転車旅のヨロコビのひとときがこれだ。
18:00 夕食。派手さはないが地のものを使った心づくしの料理。すべておいしくいただいた。酒は「初孫」。酒田市の蔵元「東北銘醸」の銘酒。この蔵の酒は全量生酛造り。
ご飯はおひつに入れて持ってきて下さったが、茶碗に山盛りで4杯分たっぷりあった。今朝9時に丼をいただいてからなにも食べていなかったこともあってすべて平らげてしまった。山形の米のうまさがそうさせたのかもしれない。しかし、おそらく旅館にすれば想定外だっただろう。
酒に酔い、苦しいほどたくさんご飯をいただいた私は、部屋に戻るやいなや潮騒につられて翌朝までぐっすり眠った。
2024/04/04
チャリンコで東北へ行く旅、9日目は丸一日鶴岡で過ごした。まずはなんといっても「藤沢周平記念館」。午前中をここで過ごした。
入ってすぐ小説の場面にちなんだ風景写真がモニターに映し出される。すべて庄内地方のもののようだ。美しい。藤沢作品を読むとこうした古き良き日本の風景を思いうかべることができる。そしてそうした風景は今も山形に、この庄内地方には残っている。次に藤沢の小説世界の紹介。時代小説、歴史小説、伝記小説、随筆・俳句といった分野ごとに魅力を解説してある。藤沢小説の魅力は何といっても時代小説だろう。それも下級武士や市井に生きる人々の矜持や心意気を描いたものが良い。解説を読みいちいち頷いた。東京練馬区にあった自宅から移築し再現した書斎も展示されていた。パーカーの中細万年筆、インクはブルーブラック、原稿用紙は市販のコクヨ、など会ったことのない藤沢氏を身近に感じることができた。心温まった展示が湯田中中学校での教え子たちとのクラス集合写真や奥様、お嬢様と砂浜に腰掛けた家族写真。ほんわか微笑ましい。奥様、お嬢様との家族写真は直木賞を受賞したころのもの。藤沢氏とて順風満帆の人生だったわけではない。中学は働きながらの夜間部だったし、師範学校卒業後教師になったのも束の間、肺結核を患い闘病生活、恢復しても教師への復帰はかなわず東京で職を転々とした時期もあったという。それだけに直木賞をとったころの家族写真が幸せに満ちているように映った。藤沢作品はほぼ全て読んだつもりでいたが、館をまわってみて、やはり未読のものが見つかった。『春秋山伏記』である。館で買いもとめることができた。
昼食は『庄内ざっこ』で「麦切り」を食した。「ざっこ」とは庄内の言葉で魚のことなのだとか。では「麦切り」とは何か。昔は各家庭で麺を打って食べており、そば粉を練って切ったのを「蕎麦きり」、小麦を練って切ったのを「麦きり」と呼んだ。庄内地方では小麦を育てている農家も多かったらしい。つるりとした細麺でコシがある。「麦切り」ができあがるまで、山形の酒を利き酒。まずは「大山 特別純米酒 十水 大にごり」。口に含むとボリュームがあって優しくクリーミーな味わい。ガス感が残っており舌にピリッとくる。酸味もあり後口は意外とさっぱり。続いて「上喜元 神力」。酒米の神力は兵庫県御津町発祥の米。「龍力」(本田商店)ではなじみの酒米だが、まさか山形で出会うとは。ほどよい甘みとスッキリとした酸。いくらでも飲んでしまいそうな飽きの来ない味。最後に「栄光冨士 純米大吟醸 無濾過生原酒 愛山」。「愛山」も兵庫県産の酒米。甘めの酒を醸す好適米だ。これはラベルも華やかだが、味も華やかな酒。派手好きにはたまらない酒だろう。食前にちょいと飲むといいかな。
昼から酒を飲んでしまったので、午後は自転車を控えた。旅行中に髪の毛が伸びむさ苦しいと感じていたので床屋に行き散髪とシャンプーをしてもらった。夕方から居酒屋を予約しているので、それまでホテルで洗濯。衣類をすべて洗って心身ともにさっぱりした。
17:00 予てより行きたいと思っていた居酒屋『いな舟』で飲む。時間帯が早いので、女将と一対一で話ができた。なかなかできない経験でありがたかった。
まずは「大山 純米 十水」。鶴岡の酒だ。芳醇でふくよかな味。食中酒として抜群です。こちらでも昨夜の「みなぐち」と同じくお通しは「エゴとウルイの酢みそ和え」が出てきた。どうやらこの辺りの居酒屋で春の味のようだ。
「十水」をすいすい飲みきってしまった。続いても鶴岡の酒、冨士酒造の「純米酒 生酒 なまいき」(300ml)。刺身は白身の三種。鯛、平目、鱸かな。「ばんけ味噌」「野人参のごま和え」「青菜(せいさい)の煮びたし」も出してもらった。「ばんけ味噌」はフキノトウを味噌に和えたもの。野人参はどんなものかと訊ねると、山に行くといくらでも生えているそうだ。青菜というものを知らなかったのでどんな菜なのか訊いてみると、高菜に似たかたちをしているがもっと大きく、高菜よりもやわらかいらしい。庄内地方では秋にたくさん漬けて冬の間食べるらしいが、春になると発酵が進んで酸っぱくなるのだが、水につけて塩抜きして煮るとおいしいのだとか。こうした地方色がある家庭的なものがうれしい。
春告魚「目張の煮付け」も注文。
もう一種、鶴岡の酒をと「出羽ノ雪 IGO(イ号) 特別純米酒」を注文。フレッシュな飲み口、甘めでやわらかい酒でした。
〆に「孟宗汁」をいただく。まだこの時期の鶴岡にタケノコは生えていないが、九州のものを使っている。タケノコ、油揚げ、しいたけなどを酒粕と味噌などで炊いた汁。この地方の郷土料理だ。
女将とゆっくり話をし、庄内地方の郷土料理に舌鼓を打ちながら地酒を飲む。思いがけず贅沢な時間を過ごすことができた。鶴岡に二泊して『いな舟』におじゃました甲斐があった。